江戸時代の商工業に関する同業者組織として、幕府・藩によって公認され独占的特権を得た座や株仲間とは別に、講、組合、仲間、無尽、頼母子などと言われる自主的相互扶助的組織があったということであり、「同業の誼(よしみ)」という「和」を重んずる精神は連綿と続いているものと思う。
明治10年ころより西欧の協同組合制度がわが国に紹介され、明治33年には「産業組合法」が制定された。信用組合、販売組合、購買組合、生産組合の4種類があった。法制化される前の明治25年に任意組合として組織されたのが、掛川信用組合(静岡県)であり、この背景には 二宮尊徳の「至誠、勤労、分度、推譲」の4綱領を掲げた相互扶助組織「報徳社」がある。
経済の道徳化、相互扶助精神であり、イギリスのロバート・オーエンが産業革命の進展による過度の自由競争の反省として唱えた協同組合思想に洋の東西に関わらない共通のものがある。相互扶助の人的結合体であり、同業組合とは異なり、共同経済事業を営む事業体であると思う。
明治時代から大正時代になり、第一次世界大戦そして大正デモクラシーと続きます。昭和2年に金融恐慌が始まり、昭和6年に満州事変が勃発しました。昭和12年に盧溝橋事件から日中戦争が始まり、戦局の拡大から軍事予算も膨張し、軍需工業動員法、臨時資金調整法、輸出入品等臨時措置法が制定されました。昭和13年には国家総動員法が制定され、昭和15年には9・18価格停止令が公布されました。軍需関係以外の中小企業には大打撃であった。海外物価高の軍需インフレを防ぐなどのため、価格・賃金を釘付けにしようとしたものだが、ヤミ価格・物資不足など国民の生活は困難なものとなった。そして、昭和16年の太平洋戦争開戦となりました。
木材の用途は多岐にわたり、戦争が始まってからは、米材・南洋材等の外国材の輸入は激減し、軍需用材の確保のためにも、木材は統制されていくことになります。「米松販売取締規則(昭和13年7月商工省令)、「用材生産統制規則(昭和14年9月、農林省令)、「木造建物建築統制規則(昭和14年11月、商工省令)、「用材配給統制規則(昭和15年10月、農林省令)、「木材統制法」が昭和16年3月に制定されました。そして、8月には木材統制の全国機関として「日本木材統制株式会社(日木社)」が設立され、地方木材株式会社が設立されていきました。
木材業界においても、同業組合、商業組合も結成されていたが、昭和16年の前述の「木材統制法」を頂点とする戦時統制により、その機能を十分に果たし得なかった。個人営業が規制される中、組合を通じての配給などにご苦労された先人の不屈の努力により、戦後の再出発ができたものと思う。
戦時中の昭和18年に制定された商工組合法により、それまでの商業組合法等は廃止され商業組合は解散した。商工組合法による組合は「統制組合」と「施設組合」の2種類であった。商工組合法は戦後廃止され、昭和21年に商工協同組合法が施行され、昭和22年3月1日で統制組合は法定解散することになった。
その後、昭和24年に中小企業等協同組合法が施行され、 昭和30年7月の中小企業等協同組合法第7次改正により、中小企業団体中央会が結成されました。
昭和20年8月に終戦となり、昭和21年連合軍最高司令部指令により日木社、地木社は解散となった。地木社解散後の自主規制と戦後の復興用材の生産確保、配給の適正化を目的とする林業会法が昭和21年10月10日に公布された。林産組合に加入しなければ木材業の営業ができないというものである。
昭和22年頃に各地で木材林産組合が設立されている。戦後の木材統制の数量割当は「切符制度」で実施された。割当証明書によらない正規ルート以外の取引も増え、昭和24年のGHQによる「不必要な物資の統制撤廃に関する覚書」に木材も指定され、木材統制は終わった。
終戦を迎えた時点で、財政赤字は現在の金額で650兆円に達していたといわれ、インフレもすごく昭和21年2月17日、政府は突然、「預金封鎖、新円切り替え」を言い渡した。また、戦時補償特別税、富裕税、財産税、再評価税、取引高税など数々の新税が生まれた。
昭和23年9月1日より実施された取引高税は、領収書に印紙を貼っての納税が原則でしたが、組合などに税額を割当てる団体交渉の方法もとり、また税務署から割当てられた納税金額を組合が請負い、組合員に割当てるという団体申告制もあり、各業界とも当時の組合役員はご苦労されたようです。